『雑踏』って何?

 

雑踏《名・ス自》多人数でこみあっていること。人ごみ。

 

調べてみて、ああなるほど、と思った。何となく好きな響きだったのに、今の今まで正しい意味を把握してませんでした。小説を読んでいると割とよく出てくる単語だと思いますが、『灰色のビル、削れた横断歩道、汚れた歩道のタイル、非常階段を鳴らす靴の音、孤独』みたいな空気を想像していました。あながち間違ってはいなかった気がしますね。

雑踏の中に消えた。と言うと、どこか寂しい背中を想像します。人がこみあっているからこそ、対照的に孤独を感じる、といったところでしょうか。人々がアスファルトを踏み鳴らす音を『雑』と括っているのも、無味乾燥なイメージを強めています。人がたくさんいても、誰とも何の関係もなく、その音は雑音でしかない。私です。なんだかなぁ。私じゃん。

 

やっぱりね、ひとりぼっちで寂しいんですよ。だから『雑踏』みたいな冷たい言葉に惹かれる。そう言うと、私は雑踏の中に消えていきました。さようなら。

ポエム:必要なもの

恋人がいないクリスマスは特別な日でも何でもない。チューハイの空き缶が散乱している一人暮らしの部屋で、ただ1日を過ごすだけだ。けれど街は否が応でも特別になって、いつもより笑顔が増える。それが長く続かないと分かっていても、どうしたって人々は割り増しで幸せそうにしている。

じゃあなんだ、俺もどこかへ出かけてみようかなんて、繁華街は人で溢れているから、山奥へ行って星でも見ようかって、ちょっと特別な日を過ごそうと考える。

同時に、そうやって孤独を満喫したところで、家で寝て過ごすのと変わらない現実がある。クリスマスに1人で山へ向かうような面白人間は、この世界の誰も知られない。多分それを孤独というんだろうけど。

本当は一緒に過ごしたかった誰かを想って、魅力を持って生まれなかった自分を呪って、虚無感と閉塞感で吐きそうになる。『寒いね』って呟いて、冬の冷気だけが『そうだよ』って答える。心を吹き抜ける風と、宙を舞う風の温度が同じで、おまえも孤独なんだなって、地球に話しかけるようなクリスマスを、まあいいやって笑える強さ

天は人に二物を与えるか

こんばんは。スーパーカップSweets 苺ショートケーキを食べながらブログを書いています。今年のクリスマスケーキはこれにしようと決めました。

 

突然ですが、『ブスは何となく無能そう』な気がしませんか?コンビニのレジで不細工な男とイケメンが接客していた場合、何となくイケメンの方が客を早く捌いてそうだし、イケメンの方に並びたくありませんか?

イケメンの方に並びたいというのはまだしも、無能かどうかは完全に偏見、のはずです。理論的というか、平等な視点で考えると、そのはずです。

どころか、どちらかといえばブスの方が有能である可能性が高いと考えられます。私のようなブスは、失敗すると「使えねえな、仕事少ないとこ行ってろ」という風な扱いを受け、ちょっと面倒になると駆り出され、責任を押し付けられます。対応は厳しく、突然押し付けられる仕事も多く、譲歩されることが一切ないためにクリアするべき課題も多い。人生ハードモードです。

イケメンが失敗するとしますね?偉いおばさま方が「あらあら、手伝ってあげようかしら」なんて言って、手助けして終わりです。美女が失敗すると「まあそれも勉強だね」とかオッサンが慰めて終わりです。そう、彼ら彼女らは容姿が端麗であるがゆえに甘やかされて生きています。人生イージーモードです。

つまり貰える経験値が少ないとも言えます。イージーモードで簡単なミッションをこなすより、ハードモードで強敵を倒していくほうが貰える経験値が多いのです。ブサイクの方がレベルが高いです。

 

しかし考えてみてください。やっぱりブスは無能っぽくないですか?少なくとも有能っぽく見えることはないじゃないですか。これは偏見ですけれども、世の中のアホな人間たちは偏見に塗れた眼で世界を見ているので、これくらい言い切った方が丁度良いかと思います。

それに成功者には圧倒的に美男美女が多い。少なくとも、ブサイクと呼べるような顔はそうそう現れません。これはなぜだと思いますか?私の理論では、既に答えは言ってあります。

 

…そう、ブサイクは人生がハードモードなんですよ。どれほどレベルが上がっても、いつまでもハードモードなんです。ブサイクがレベル100でやっと倒せる敵は、イケメンのイージー人生ではレベル20くらいで倒せます。というか敵の数がそもそも少ない。しかもめちゃくちゃにイージーでサクサク進むため、美男美女は簡単に次のステップに行きます。

これは決め付けや偏見ではなく、20年間生きてきて、どいつもこいつもカッコいいやつ可愛いやつはだいたいイージーに生きているなというアレです。経験則みたいなものです。

「天は人に二物を与えず」という諺がありますが、あれは嘘です。むしろ逆で、二物を与えるか与えないかです。容姿端麗に生まれればだいたい付属品が大量についてきて、しかも人生は『かんたん』です。この諺を考えた人間はおそらく人生が『かんたん』で、自分の恵まれた環境を二物と捉えられなかった阿呆なんだと想像するのは容易であります。

ブサイクはやる気がないわけでも、能力が低いわけでもないんです。ハードなだけなんです。常にキャパ以上の仕事を押し付けられているだけなんです。

君らはイージーなんだから、恵まれて生まれてきたんだから、ハードな敵と一所懸命に戦っている我々をバカにするのはやめて、さっさと先へ行ってくれたまえ。じゃあな。

サンタさんへ

今年は比較的いい子にしていたのでプレゼントをください

 

中身はなんでもいいです

 

他者から渡されるという事象に乗せられた思慮や感情に意味があるのです

深夜なので性癖の話をします

こんばんは。レポートを書くにあたって『句読点よりもコンマとピリオドの方がカッコよくね?』という理由で、私のPCはそういう仕様にしているので、前回のブログはPCから書き込んだということになります。今回は句読点で失礼します。

 

さて本題なのですが、成人向け動画、ありますよね。敢えて成人向け動画と表記しています。そして早速私の主張なのですが、成人向け動画、概ね下品すぎやしませんか?

やれ妹、上司、痴漢、盗撮、それでええんかと。背徳感が必要なのは分かるが一辺倒すぎないか?と思います。すぐにちんちんを咥えるのも納得がいきません。きたねえべ。

女の子というのはもっと崇高であるべきだと思います。動画は空想の世界であるから、だからこそ余計に。社会に目を向けてみてください、人間は、成人向け動画のプレイ内容よりももっと低俗で汚いです。対して動画は作品であり、あくまでも作られた世界です。そんな世界には、光が射し込む窓際で恥ずかしがりながら服を脱いでいくだけみたいな、そういう美しく高尚なスケベが必要だと思いませんか?

 

一つ断っておかなければならないことがあって、私はあまり成人向け動画を好んでみるタイプではありません。もちろん頻度的な話で、人生単位で累計本数は何本か、というと流石にそれなりには見ているつもりです。セクシー女優はTwitter2chなどで拡散されたり、よく名前が出ている人だけしか知らない、その程度の興味関心だということだけ、前提として分かって頂ければと思います。つまり、この道の専門家の方々から「いいや、そんなことはないぞ」と言われてしまう可能性がある、ということです。ご容赦ください。また、そんなことはないぞと思う方はぜひ美しいスケベな動画をできればURL付きで紹介してください。

それでは、さようなら。

朝なので前向きな文章を書きました

おはようございます.10時20分です.朝が早いかどうかはさておき,定型文としてのおはようございますを使っても差し支えない範囲だと思います.

先日,インターネット上で「自分をちやほやしてくれる人ではなく,成長させてくれる人と交際するべきだ」というようなセンテンスを目にしました.至極もっともだと思います.

では,『成長させてくれる人』とは一体何だと思いますか?

例えば,自分では釣り合えないと感じるレベルの美男美女でしょうか.たしかに,『格上』と認識するような人と釣り合うために努力する,という過程で人は成長するかもしれません.しかしそれは,単に「イケメンや可愛い女の子と付き合いたい」という気持ちの言い訳として『成長〜』の言葉を使っているだけのように見えます.いわば甘えです.まぁめちゃくちゃ努力した結果,可愛い子と付き合えました!という事例であれば何も文句は言えませんので,幸せになってくれたまえ.

では,厳しく叱ってくれる人でしょうか.これも何だか違う気がします.そもそも相手の方が平和な交際を望んでいる場合もありますし,「歯に衣着せずにものを言うようなサバサバした女性に叱ってほしいから付き合いたい」というのも,ある意味「美女と付き合いたい」よりも不純です.それはそういう性癖です.

お互いに高め合っていける人はどうでしょうか.これは本当に理想の関係だと思います.恋人がライバル,とても幸せなことですね.『成長させてくれる人とは一体何か?』という問いには,これを結論としてもいいかもしれません.

 

しかしですね,そもそもこの問いは”交際相手を選べる”という超アドバンテージ条件付きなんですよ.我々ブスには交際相手を選ぶ権利はありません.それこそ成長させてくれる人を探す前に,自分で勝手に成長する必要があります.『自分で勝手に成長する』,これは難しいことのように聞こえるかもしれませんが,そんなことはないんですよ.我々は日々成長しているんです.

支えてくれる人や,背中を押してくれる人がいるのは大切だと思います.自分一人で走り出すよりも,仲間に押し出してもらったほうが推進力があり,より良い結果も得られるでしょう.

そんなある日,人生において大きな谷に落ちてしまいました.仲間はそんなところまで駆けつけてくれません.その時に強いのは誰だと思いますか?

そう,たった一人で大地を踏みしめ,一人の力で走り出した我々なんですね.何がどん底だ,オレたちはもともとここにいたんだぞと.誰かに『成長させてもらった』人間よりも,一人で立ち上がる力があるんだぞと.窮地に強いのは孤独な人間です.成長させてくれる人,知ったことかと.それくらいの気持ちで生きていきましょう.

 

色々書きましたけど,私はずっと一人で頑張っているので,甘えさせてくれる人と和やかに過ごしたいですね.それではさようなら.

どうぶつの森 ポケットキャンプ

どうぶつの森を始めておよそ3日が経った。ほのぼのとした雰囲気に癒されながらも、私は違和感を覚えていた。

今作のどうぶつたちは「こんなオイラのために〜」のようなセリフが目立つ。彼らは友好的で感謝を忘れず、明るく振る舞っているが、そんな中にどこか自己否定的なニュアンスがある。

彼らは物を貰い慣れていない。『欲しいもの』を突然手渡されると、とても驚いたような動作をする。果物1つに対して、通常の買取価格の10倍近い金額とお礼の品をくれる。たった2回『欲しいもの』をあげるだけで、"仲良し度"が上がる、すなわち心の壁が一つ取り払われる。

彼らはコミュニケーションを得意としていない。世間話をしようというと、主人公を褒めるか、プレゼントをくれるか、「しずえのチャレンジがあるよ」と教えてくれるだけだ。話題を1つ話し終えてもう一度話しかけると「ごめんなさい、経験不足で、話せることがないんです」なんて言うどうぶつもいる。自分のキャンプに招いた"仲良し"のどうぶつですら、2度目は世間話をしてくれない。

 

果物1つに対して多すぎるほどのお礼、世間話ができない、1人で"旅"をしているという共通点。そんな彼らの「○○(主人公)のおかげで楽しい」というセリフからは、すなわちこれまでは楽しくなかったのでは?と推測させられる。

彼らはきっと優しすぎたのだ。しかし"どうぶつ"である彼らは、誰からも優しくされなかった。彼らにとって冷たい社会は厳しすぎるものだった。彼らは逃げるように、たった1人で"旅"に出た。まともなキャンプも設営できなければ、虫捕りや釣りや果物を入手する技術もないままで、それでも彼らは旅をして、そして『主人公』に出会った──

それは主人公も同じだった。優しい心を持ちながら、優しい仲間には出会えずに、まともなコミュニケーションを取ることができずに、苦しんで、旅に出た。「世間話をしよう」なんて、口下手だ。「欲しいものある?」って、ぶっきらぼうに訊く。自分と同じか、あるいは自分より弱い立場のどうぶつたちに向けて、ぎこちない優しさを投げかける。それがたとえ人間のエゴだとしても、過ごしやすいキャンプを黙々と作って、どうぶつたちを誘うのだ。

「キャンプにおいでよ!」